村上春樹は、お札になります。
本のセレクトに、著しい偏りが見られる佐藤ですが、
今年も何卒よろしくお願いいたします。
村上春樹主義者の皆さま、
ついに最新作の予約が始まりましたね!
強めタイトル。
なにかと不便なハードカバーで読むか、
一年待って文庫で読むか......まじで悩ましいところ。
ハードだともったいなくて、お風呂で読めないしな。
いやーん、どうしようー!
なまら素晴らしかった「女のいない男たち」。
村上春樹流 一人称の
ネクストステージを感じさせるものがあり、
長編への期待が高まるばかりです。
最新作が出版されるにあたり、
過去の作品を再読しておきたい気持ちがMAX。
一番のお気に入り「ねじまき鳥クロニクル」再読いたしました。
ああ、何度読んでも心が打ち震える......!
同じ時代に生き、
リアルタイムで作品に触れられる喜びを感じる。
村上春樹は、そんな作家の一人なのです。
この物語の山場はなんと言っても、
間宮中尉と本田伍長のノモンハンでの戦時体験。
太刀打ちできないほどの、圧倒的な暴力(戦争)と、絶対的な悪(皮剝ぎボリス)に、
完膚なきまでに叩きのめされた、
敗者である間宮中尉に、
佐藤は、
「ガリラヤのカナ」のアリョーシャを見ることができ(恩寵を受けられた者として)、
「トカトントン」の手紙の主を見ることができるわけなのです(叩きのめされた敗者として)。
でも、そもそも恩寵の存在など知らないほうが、
その人にとっては、心安らかに過ごせるわけで。
(それは"のうのうと過ごす凡夫"であり続ける、ということにはなるけれども)
たとえ恩寵なり恩恵を受けられたしても、
アリョーシャだって、ロシア皇帝の暗殺を企てて斬首されちゃうんだし(未完の二部で)、
啓示に従って進もうとすればするほど、不幸になってしまうパラドクス......になるわけですよね。
モンゴル人に井戸に放り込まれるの、嫌だしな。
あぁ、心の底から、
凡夫に生まれてきてよかった.........。
◆◆◆
話が逸れますが。
毎年恒例のニュース、
ノーベル文学賞を村上春樹氏が受賞するか否か問題。
カフェでファンたちが集い、
受賞の報道を待っているのをニュースで見るにつけ、
「愛するが故に、逆に愛の無いことになってるから!」と、そのパラドクスに対して、
心の中でツっこみを入れている佐藤。
(村上氏的は「ノーベル賞を取るかどうかなんて放っておいてくれよ」という心境なのではないかな、と思います。)
だから、
ボブディランも姿をくらませたのであろうし、
「そなたに我々のこの偉大な賞を授けて進ぜよう」という姿勢がムカつくのであろうし、
その反骨精神なくしては、過去の名曲など生まれていないでしょうしね。
ノーベル賞、受賞しなくてもいいです。
というか、むしろ受賞しないでほしい。
売り切れで読めないとか、うんざりすることが勃発しそう。
◆◆◆
ノーベル文学賞の行方はよくわかりませんが、
佐藤は「村上春樹はお札になる」説を、以前より提唱しております。
だって、夏目漱石がお札になったんだから、
村上春樹がならないわけがない。
欲しいな、村上春樹1,000円札。
(5,000円は気が重いので、1,000円くらいがちょうどいいと思います。)
がんばって100歳まで生きられたら、
使えるかもなぁ。
ぜひとも安西水丸で!