世の中に存在するほとんどのモノ・発生するコトガラは、ふつーだ。
可もなく不可もなく、十人並みで、平凡。
ありふれていて、凡庸で、無難で、通俗的で尋常。
もちろんそういう「超日常」の連続が
「非日常」を際立たせるわけだから
ふつーの存在は実に大切な役割を担っているのだけども。
なんてコムズカシー書き出しになったのは
訪ねた銀座商店街があまりにもふつーだったからだ。
「大麻銀座商店街」
これを「たいまぎんざ」と読ませるならば、
「おいおい。歩いてる人みんなフラフラだよ、イッちゃってるよ。
ハッピー?ヒッピー?...え?ホッピー?
え?大名行列が見えるって?キメすぎだって。つかまるってば」 みたいな話にもなるんだろうけど
読み方は、「おおあさぎんざしょうてんがい」ふつー。
軒を連ねる店も
ま、こんなだったり。
こんなだったり。
こんなだったり。
こんなだったりと、
実に、
まことに、
至って、
すこぶる、
スペシャルふつー。
ふつーに自転車が並び
ふつーにポソポソと人が往来し
ふつーに工事してて
ふつーに...
子どもが遊んでる。かわいいけどもね。
ま、無理してツッコめないこともないんだけども
ま、無理してツッコまなくてもいいよなぁ...的な。
といっても、ワビサビ銀座商店街レベルの話であってさ、
東京や大阪の大賑わいの風流な銀座商店街と比較すれば
充分ふつーじゃないんだけどもね。
↑ 花の東京 戸越銀座。
いやその前に
こういう戯言系のコンテンツを
再開させることが
ふつーじゃないわいな。
...なんてことを考えながら
のれんをくぐった商店街の片隅の蕎麦屋さん。
その味も、やはり...